愛情表現
板橋区で両親を殺害して爆破した少年が、涙を流して両親の冥福を祈ったそうです。
Yahooニュース「母の愛気づかず…両親殺害の少年、通帳の名義見て涙」
殺害には直接的な動機はなく、少年が両親からの愛情を渇望し、それがかなわずに仕事ばかり任される「不満」が「あきらめ」に変わり、最後には、「殺意」になったとみている。<中略>ただ、少年は母親の愛情に気付いていなかった。事件後、特捜本部で自宅を捜索したところ、母親が少年のためにためていた少年名義の預金通帳が見つかった。
逮捕されて以来、両親殺害を人ごとのように淡々と話していた少年は先月末、捜査員から通帳を見せられ、涙を流した。
何だかドラマにありそうなとっても切なくて悲しい出来事になってしまいましたね。
誰かのために何かをしているということはやっぱりちょっと照れくさいですよね。でも、やっぱり何らかのカタチで愛情を表現する必要があるんだなぁと改めて思いました。相手のためにって何かをしてもそれが見返りを求めないものであるために相手に気づかれる必要性がないことって結構あると思うんです。そういうのこそ思いやりとか愛情かなってちょっと思っていたのですが、時にはそれにカタチを与えてやることが大事なんだなぁ今一度思いました。
人は感じることができます。メディアリッチネスの高いメディアであればあるほど、私たちは間を読み、空気を読み、ニュアンスを感じ取り、雰囲気を感じ取る。直接的な表現がなくてもそれらによって私たちは相手からの不完全なメッセージを完全なものに見せかけ、理解したと思う。
でもやっぱり、ほんの少しでもいいから相手に明確に伝える手段もないとダメなんですね。本当に一言でもいい。あなたのことを思っているということ、あなたのために何かをしたいと思っていることを。
今すぐ、自分の大切な人にそれを実行してみてはどうでしょう。
言葉という輪郭を与えることで変わる何かがあるかもしれません。
何だか、ハッキリ伝えることの大切さと私たちのコミュニケーションがいかに不安定なところに成立しているかを再認識させられたように思います。


Recent Comments