存在と言葉と真理と...
私たちは言葉を身につけている。
人と人が関係によってつながれることで社会が構成されているのだとすれば、私たちはその内に秘めた「想い」や思索を他者へと伝え、その関係性を常に変化させながら生きているのだろう。
大学の頃に学んだことの一つに
「我々は完全に自由ではいられない。何人も立ち入ることのできない思考の内部でさえ。それはあらかじめ決められた「言葉」という枠組みによって表現しうる内容も決まってしまうからだ。」というものがあった。
言葉、自由、真理.....それを巡る真理に近いもの、それらの一つの姿をこの一連のテキストの中に見ることができる。人が社会の中で生きて行くにあたり、頭の中に入れておいて損はないと思う。
忘れたくないので、ここにメモ。
『現象と心象』-----
「私の名前は観察者。現象と心象の中間に位置する存在。あらゆる自然現象は何者かによって観察されねば、その事象が記録されることはない。私の名前は観察者。あらゆる現象は私のような中間に位置する者の目によって観察されることでのみ、その存在を未来に残すことができる。
君はコーラリアンを知っているか?
コーラリアンと呼ばれる存在について、我々が語れる言葉は少ない。誰もがそれをまるで幽霊か化け物のように語る。しかし実際はいづれにもあてはまらない。コーラリアンを前にして、我々の持つ語彙は圧倒的に少ない。
君はコーラリアンを知っているか?
もし我々に今の我々以上の語彙が備わったとして、しかし、きっと我々にはそれを表現できないし、その感じ取ったことを分かち合うことさえもできないでだろう。我々はコーラリアンの前では圧倒的に無力だ」
『我々は言葉を持たないに等しい』-----
「言ってしまえば、それは砂漠の蟻が大空の先にあるものを語るに等しい。しかし伝わらないからといって、表層だけを語り本質から逃げるという行為に満ち溢れたこの世界で、それにのっとって言葉を紡ぐことに、いったいどれだけの価値があるのだろうか。伝わらないなら伝わる努力をするべきだ。その努力をしたくないのなら、永遠の沈黙をもってこの場から立ち去るべきだ。それを彼らは証明していた。」「大波を待つライダー達にとって、そこに存在していることが全てを言い表していた。全ては体験を通して語られる。すでに用意された安易な言語でしか表現できない彼らは、その安易さの下に持ち合わせた深い真実によって、それをあえて言葉として表現する。何を語る?真実?しかし、それはあまりにも浅い言葉でしかない。それを人は陳腐な言葉の羅列として蔑むであろう。しかし、真実など誰がわかる?目の前で起こった現象に対して高尚な言葉で語ること。それこそがその現象を矮小化させている。現象は現象でしかない。現象を語るには現象になるしかない。しかし我々は、現象そのものになることはできない。現象は我々以外のところにあり、我々以外のところから発生するものであるからだ」
「そうなのだ。現象は俺達がいなくても起こる。ただそれを目撃した者達には何かを残す。それがその者達にとって傷となるのか、はたまた糧となるのか。それすら波には関係がない」
(EUREKA SEVEN episode14より ストナーの思索)
"ねだるな、勝ち取れ"さんのところには、同じ部分を英語で掲載されていた。参考にしたい。



Recent Comments